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鍵盤装飾音・その1

​ 音がひとつだけ、譜面に書いてあるとします。 声を出して、その音をアー、と歌ってみるとき、少し弱めの音が出たあと、空気をもっと吹き込んだように音が膨らんで、最後の方で息が切れてくると音が弱まって小さくなり音程も少し下がってくるかもしれません。 と、いう具合に、 音がひとつしか譜面に書いていなかったにしては、声はバラエティに富んだ「音楽」を「ものして」います。声は、ひとつの同じピッチを完全に同じ風量で保つという出かたにならないので、「音楽としてはたったひとつの音」ではない、のだと私には思えます。 オルガン、チェンバロ、ピアノなどの鍵盤楽器は、書いてある譜面の音がひとつだからと、機械的に指をポンと鍵盤に置くと、そう簡単には「音楽」にはなりません。 さらにいうならば、その音の「音楽」は、次にどの音に行くのか、あるいはその音はその前のどの音から来た音なのか、前後関係に影響を受けるものです。 音を発生したあとでは、声のようにその音を膨らますことはできないし、その音の消え方を、コントロールすることは難しい。 その音を「音楽」として弾くためには、鍵盤楽器奏者は「弾く前にその音がどういう音楽になるのか」ある程度決めてから鍵盤に指を下ろす必要があります。 鍵盤楽器のそうした「ハンディキャップ」を超えて、ひとつの音を声のように心に響く音楽にするためには、「それっぽく聴こえる」工夫というか、「あら?なぜかこの音が途中から膨らんで聴こえたんだけど?!」と「だまし絵」効果のようなことをするわけです。 「アー」と聴かせたいか、「オー」と聴かせたいか、など、演奏する

歌うオルガン

昨年はフィリエ(歌二人とガンバとチェンバロのグループ)で、クープランのプログラムを一年間演奏しました。日本でミニツアーをすることもできて、その時のことをメンバー持ち回りで書いていたブログの「日本の旅の最終回」が今日上がりました。昨年はフランソワ・クープランの生誕350年だったことが2017ー18年にそのプログラムを選んだ大きな理由でしたが、これは本当に大きな企画で、いくつかの音楽的難関を4人で突破する体験になりました。 クープランが私たちを器楽的声楽的なギリギリまで追い詰めてくれる役割をしたのだとしたら、今年のフィリエのプログラムは真逆に舵を切って「音楽家がまず『歌う人』だった時代」ルネッサンスにどっぷり浸かって、みんなが器楽と声楽を操る500年前の世界に挑戦しています。 今月末と2月の初めの「今まで弾いていたのなら、今度は歌いましょうよ」という題の演奏会は、オルガン作品の、当時の流行歌に題材を取った曲を、原曲を歌うことを基本にして「再考する」内容です。ダウランドの「涙よ流れて」とスウェーリンクの「涙のパヴァーヌ」など。ブリュッセルのBSOオルガンフェスティヴァルの一環として、演奏会場ではなく教会でもない、もと屋内野菜市場だったHalle St Géry に、大きなポジティフオルガンとチェンバロを設置して演奏します。だから一見オルガンがメインに見えますが、私たちは太鼓を叩きタンバリンを振りながら4声で合唱しながら入場して、午後のまったりした憩いの時間をカフェやショップで過ごしているHalle St Géryの皆さんにひと時のエンターテイメントを楽しんでもらおうという趣向なのです

1月の楽しみ・新しい手帳

2017年の年末に書いた「手帳会議」のブログを、年始に当たり、振り返って読んでみました。 ・ほぼ日手帳カズンが重いので持ち歩くのが大変なこと ・腱鞘炎で手が痛くて字が汚くなってしまって書く楽しみが減ったこと ・手帳生活を盛り上げそこなったために(新鮮味がなくなったこともあると思う)毎日日記を書く習慣が消えてしまったこと 文句タラタラというか言い訳に満ちていて驚くのですが、当時わざわざブログに書いたのは、やはり「なんとかしたい」「気合いを入れるから見守ってくださいませ」という気持ちがあったようで「日記や手帳を書かない」というオプションは私にはないみたいです。 そこで、今改めてなぜわたしは手帳が好きなのかを考えてみました。 ・文房具にときめく ・手書きというコンセプトは可愛い ・記憶力がない、という性格をしている ・「今日の苦労は今日にて足れり」という人生観に好感を持っている そして、満を辞したかのように?到来したバレットジャーナル文化。提唱者のアメリカ人グラフィスト、ライダー・キャロル氏の本を買ってきて読んでいるのですが、その本によると、「日本の手帳文化の影響を受けている」ということが前書きに明記してあります。本文の彼自身の体験談もとても説得力があって、この本がなぜ本屋さんの「心理学」の本棚にあったのか納得するのですが、読み始めてすぐに「日本の手帳文化」ということが書いてあったので、私は意を得たり。と感じたのでした。 日本の手帳文化(家計簿文化も含めてもいいと思う)は、ヨーロッパに30年住んだ私から見ると「日本からの贈り物」のようなもの。子供の時に、海外からのお土産の色鉛筆やノー

新年あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いします! 三ヶ日が明けたところで、昨年までmelo_et_filiaeというネームで写真を上げていたインスタグラムの名前を本名に変えました(momoyokokubu)。 2015年3月17日に、ちょうどお弁当写真がたくさんインスタグラムで見られるようになった頃だと思うのですが「他人のお弁当を見るために」インスタアカウントを作り、とりあえず食べ物、猫、ベルギーの写真でお茶を濁しながら楽しいインスタ生活を送り始めました。その名は、メロフォンという自分たちのCD制作用のグループの名前の一部と(メロ、にはリンゴなど、丸くて赤い果実のことを指す語源もあるため、自分の名前の「桃」もかけた)、2015年に立ち上げた楽団(?)フィリエの将来を祈りつつ、謎のmelo_et_filiaeというネームを考えました。 自分はオルガンを弾いていますが、オルガンのことばかり毎日考えているわけでもなく、オルガンという単語を中に入れなかったのはそれを思いつきもしなかったからです。それにオルガンという単語をネームに入れている人は多分多い。インスタグラムに他にない名前でなければ申し込む時に受け付けてもらえないので、謎なアンダースコア付きの連名造語になったのでした。 その後もうすぐ4年が経ち、2781枚の写真を載せ、320人の方々の写真を眺める日々となり(フォロー中)、393人の方々に定期的に写真を見てもらうようになりました(フォロワーさんたち)。 その中で、インスタだけが接点だったのに、実際演奏会に来ていただいて本当に出会うことができた方、興味を持っていただいてCDを購入していただいた方

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