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Club des répétitions musicales quotidiennes

Hier j'ai écrit le blog en japonais, en se rappelant du Défi des Cent-Jours que j'ai échoué cet été. J'ai pris comme un pari de répéter tous les jours mes exercices d'échauffement sur clavier, en cents jours continus, sans un seul jour d'interruption. Les musiciens qui les réussissent (comme Hilary Hahn) ont des fameux stratégies: que faire quand on est en voyage!? Ma tentative s'est arrêtée à 37e jour. La journée à l'aéroport et la nuit à l'hôtel m'ont imposé la halte, même si, j'ai vu un piano à Zaventem et un autre dans le hall de l'hôtel. Je n'osais pas faire des gammes et des arpèges en public! À l'époque j'ai utilisé un appli sur le smartphone pour le comptage des 100 jours. Mais cette

練習クラブ

大人になっちゃったけど、 好きなもののクラブを作る。 皆さんやったことがあるかも しれません。 好きなものが共通な友人を見つけて クラブを作ると楽しそうです。 では、私は好きなものが音楽なので 練習のクラブを立ち上げます。 なんだそりゃ! 的な… 夏の初めに、100日間、毎日、 技巧練習をするという、 賭け(賭けだったのかあれは?!) を一人で、さりげなくやってみて いたのですが、 さすがに空港移動の日 ホテル住まいの日 (いや、空港にも、 ホテルにもピアノあったんですけど) に敢行できず、泣く泣く37日間で挫折。 やはり100日間連続で行う、 「100 Days Challenge」に 打ち勝てる演奏家の方々は 並大抵ではない下準備を する能力が底力としてあるようです。 1日でも飛ぶと、そこまでの 努力が、パーになってしまうので、 破壊力がすごいチャレンジです。 その時は、私はスマホアプリで やりました。 (インスタグラムで 毎日投稿の形でやろうとすると、 もちろん可能だし良いんですが、 美しい画面にする、という 別の苦労が生まれる) 100 Days Challenge用 のアプリは何種類かあります。 しかし今回はクラブ形式を志願。 というわけで、練習好きな方、 練習しなければっ!という日常の方、 参加を募ります! 一応クラブなので、枠は、 「楽器」あるいは「歌」 「技術練習」 「作品練習」 「毎日続ける」 「目標は100日連続」 「1日の練習時間は問わず」 (*大人の皆さんは自分で 自由に決めましょう) あたりにしたいと思います! どのように100日数えるかは それぞれで

共感

教会で毎週月曜日に、 ランディ・ドルグという オルガンのランチタイム・コンサートが あるのですが、 毎週聴きに来る、ビジネスマンの男性に 「よかったら知り合いの人に この演奏会のことを広めてね」と スタッフがお願いしてみたらしい。 毎週、一人で来るからかな? そうしたら、なんと男性は 「絶対、いやだ」と。 ビックリして「どうしてなのか」 訊いてみると、 「心のオアシスだから」、 秘密にしている、と、 自分にとって、 仕事の合間の、 音楽の一人時間は、 とても大事なのだ、 と答えたそうな。 私たちはそれを聞いて、 どよめいた。 それじゃ、人増えんやん! あるいは、知らない人同士が、 八十人とか集まってるっていう噂?! しかし私の心は、 妙に共感していた。 おじさん、 あなたはオルガン音楽の 真髄を探り当てています。 オルガンの演奏会は、 自分と向かい合う時間。

ブリュッセル

今住んでいるベルギーは、 一辺は海に臨み、 内陸の国境はオランダ、フランス、 そしてドイツに接している。 全く平らな地形の北部から西部 丘と崖と森の多い南部から東部 小さい国土の中にいろんな顔がある。 泳ぎも、自転車も盛んですが、 フラマン語圏とフランス語圏では スポーツに対する政治が違うこともあり 国をあげてと言う感じではない。 女子テニスに強烈な才能が出たり スケート男子でユニークな選手がいたり サッカーで盛り上がったり そんなことが単発であると みんな嬉しそうに話題にしていますが 知らない人は全く知らないし 何の話?という顔をしている。 私は個人的に、 1・モーリス・ベジャールの20世紀バレエ団が ブリュッセルだったこと 2・マルタ・アルゲリッチが アパートをブリュッセルに 持っていたこと 3・メトロに乗っていたら アメリー・ノットンが 普通にそこに乗っていたこと この三点に感激しました。 その三つにどういう共通点があるのかと 言われると、何とも言えないですが、 どの人たちも有名人であることを気にしてなさそうなところが ブリュッセル住まい向きだなと思います。 他人のことを良くも悪くもほっておいてくれる 等身大のまちで、等身大の国。 「住めば都」な、だけかしら。

踊り

体は踊るようにできている。 踊る人を見ていると こんなことができるなんて、と 人体の不思議、 人間の不思議に 心打たれる。 肉体を使って、 時間の芸術である 音楽に乗せて、 どうすれば美しく見えるか を追求して踊ることは、 辛いことにも 悲しいことにも 寂しいことにも 怖いことにも 美しい形を与えるということ。 人の体はどんな形でも 美しいものだ。 音楽のように、 動かすことができるのだ。 音楽よりも先に、 人の体が生まれたのだから、 音楽には人の体の 動ける動きが全て 溶け込んでいる。

風雨

寝室の窓に当たる夜の雨。 風雨の中に、 色々な音が混ざっている。 今夜生まれてくる子は 雨の音をお母さんの お腹で聞くだろうか。 たまたま明日は冬だという夜、 午前二時から午前二時までの 空白の一時間の間も、 たくさんの雨つぶが落ちて 紅葉も風雨の中で 散りながら口笛を吹く。 考えたらホラー音楽の 一番の効果音は 風の音に似ている。 ホラー映画はテンポが早まる瞬間があって 風速を加速させるように アッチェレランドして 怖さに平常心が追いつかないような 工夫がなされている。 普通の生活で 何が怖いだろう。 それはやはり、 今日と明日で 人間関係が激変していたら 怖いだろう。 家に帰ったら もう自分がすでに家にいて、 家族に「お前は誰だ」 と聞かれる、ああいう話。 妊娠というのは そう考えると かなり怖い。 人が一人増えるのだから。 そこからその人は一生 人生に加わってくる。 風雨の日には どこかで産み落とされる 命のことを 考える。

怖さ

ハロウィーンの季節。 怖い音楽を弾きまくるのが楽しい 季節がまたやってきました。 自分にとって怖くて好きだった曲は、 ルイ・ヴィエルヌというフランスの作曲家の、 オルガン交響曲の三番の一楽章。 オカルト音楽のようで、 「なんて怖い和音進行なんだ!」と 弾くたびに思う。 冗談みたいだけれども、 戸締りをしたばかりの 空っぽのロンドンの教会で、 この曲をフルレジストレーションで 練習した時、 「うわああああああ」 と叫び声が聞こえて、 教会の暗闇に目をこらすと、 ベンチの下?で眠りこけていた イギリス人のホームレスの男性が、 紙のように真っ白な顔で そこに立ちすくんでいた。 (以前のブログで書いたことがあるはず) 大丈夫だから、ただのオルガンですから、 と優しく慰めて、裏口から外に出てもらいました。 ポケットに、空のお酒の瓶が 突っ込んであって、漫画みたいでした。 あれは、絶対、怖かったと思う。 小さい頃、蛇が大量に出てきて、 音楽もひどく恐ろしい映画を 偶然テレビで見てしまって、 それは自分の悪夢内で再放送されていた。 それからはホラー映画を 見てしまった時は、 指で耳栓をして見るようにしていた。 とにかく「ホラー音楽」は 世界一怖かった。 音さえなければ、ホラー映画も ちょっとコミカルになることに、 気がつきました。 そのあと皆さんが一番知っている、 バッハのトッカータニ短調の 入りのメロディーを、 色々な映画で効果音的に インプットされるようになり、 気がついたら自分がそれを 弾くようになってしまっていたのです。 ただし、オルガン音楽が 怖い効果のあるような和声進行だったとし

こころもち

心持ちが大切、 とか、 心がけ次第、 とか、 心が、人間という動物を 人間らしくするという、 言い方があります。 女のことは、自分が女なため、 よくわからない。 実用に走りがちなのでは? と自己観察をすることこそあれ。 が、男のことは、弟も二人いることだし、 幼稚園から大学まで共学なので (そういう言い方で合ってるのか) 見る機会も考える機会も多い。 男性は、とにかく 心がけを大事にする生き物です。 なにごとも「かっこいいか」 どうかでその心は決まる。 しかしその格好よさというものは、 一体どういう基準で かっこよく思ったのか、 周囲の目には 疑問に映ることもよくある。 私はそこが男性の魅力の基本だと 思っている。 なんだかよくわからないが、 心がひたむきに傾いている。 自分を生かすことは 初めはあまり考えていないようなのに、 人生の途中から脱皮して、 かっこいい、その人らしい 「ひととなり」に たどり着いていくようだ。 一つ、はっきりさせたいのは 見た目がかっこいい ということではなく、 心持ちがかっこいい、 ということです。 私が、ああ、今日は心が無色だなあ、 と思う日に、男性を真似て その無色さをカッコイイもので 色つけしてみよう、と意識する、 という遊びを、してみることがある。 真似するなら男子、 と小学生の頃から思っている。 美しいお姉さんよりは 芸術家風の男性を 真似たい。 女なりにそういう心持ちで 一日を過ごすと、 割合に心と体が 慣れてきて、豊かな気持ちになれる。 持っていないものに 満たされる。 その日の夜、鏡を見ると、 少しだけ顔が変わっています。

システム

昨日、 システムに問題があったので ブログがうまく書けなかった。 今日も、 そのシステムは治っていないので、 書けない。 新しいシステムが 作られていて、そちらを 使ってみたらどうでしょうか と提案されていたので 今までのシステムから 移動してみた。 ネット上では 慣れたシステムを諦めて、 別の方法で 試運転をしなければいけない 何かがしょっちゅう起こる。 繋がっていれば 手触りのあるものづくりさえ することができるインターネット。 紙のように本当に触ることはできなくても 文章は意味を声にして 誰かの耳に叫ぶ。 でも、繋がりませんよ と、いうことになれば、 繋がるまでどこかで 「油を売って来る」 しかない。 油を売るのが得意だと 昔、みんな親に怒られたと思いますが、 今まさにそんなことが できなければ、 自発と受け身を すいすい行ったり来たりできる しなやかな精神力を 身に付けることはできない。 初めて書いてみたこのシステム。 今日の時点では 決して使いやすくない。 でも昨日のように システム問題復旧中の画面で フリーズして書けないよりは 良いのでやってみます。

祈る人たち

祈っても祈っても、 祈りが減らない。 明日になるときっとまた 新しい祈りが生まれる。 耳をすますと、あそこで 目を瞑ってひざまずいて祈る人の 祈りが聞こえて来るようだ。 取り返しが つかない気がしても、 もうそこには ないのがわかっていても、 祈ることは絶えない。 声に出さない祈りを 祈っていると、 その祈りは不思議に 顔に刻まれる。 人々の顔に、 今日も 祈りが刻まれている。 世の中で一番 美しい顔。

装飾

今年の一月に、鍵盤装飾音について、 ブログで書き始めた時に 歌の真似で一つの音を 一つ以上の音で表現する方法だった、 のかも、 しれない、 と書きました。 今日はその続きではないのですが、 (続き、いつか書きますね) 装飾って生活に 溢れているじゃないですか。 例えばアクセサリーを つけようと思う時、 イヤリングも 髪飾りも ペンダントも ブローチも スカーフも、 というふうにつけると、 大抵は過剰じゃないですか。 でも、どこまでが 過剰じゃないのか。 例えば、真っ黒い服のような、 土台があれば、 パンク風に全部装飾しても、 様式美が現れるかもしれない。 何も飾らない、 ということが一番の美である場合もあるし、 ほんの少し装飾したことが その土台をとても引き立てることも ままある。 今日は、一年のうちで、 物理的にも心理的にも 装飾過剰になりがちな、 クリスマスのパーティの話を していました。 自分の義理の家族が集まると、 割に大人数なこともあって、 心理的に、私はあまり場所を取りたくない。 でも自分らしさを 出さないことで、 全体の幸せを 増加させることができるのか? それとも 自分らしさを出した方が、 全体の幸せが 倍増するのか? 自分の存在意義にまで 及ぶ、命題。 自分の義理の妹を 私の家に招待したと想定して、 彼女が思い切り楽しんでいたら、 私は嬉しい気持ちになるなあ、 と、思います。 寂しそうに静かにしていたら、 全体として幸せな感じはしません。 でも自分が義理の家族として 大勢の中に出席している時は できるだけ義理の家族の 邪魔をしない。 そんな感じに、つい 「楽な

半分こ

とても寒い夜だった。 まだ秋なのかもしれないけれど 今日は、冬だ、と感じる夜だった。 冬になって思い出すのは、 寒い多摩川べりの朝。 暖かいフリースなんて 生まれてなかった頃、 ダウンジャケットは たしか少しだけ出始めていた 80年代の頃。 (違ったらごめん) あったとしてもまだ持っていなくて、 ただジャージを着た高校生だった私たち。 ジャージに薄いブレーカーで、 部活のあと多摩川べりで凍えていた。 風が、びゅうびゅう吹いていた。 土手に、なぜか、カップヌードルの 自動販売機があった。 ちゃんとお湯を注いでくれる 自販機。 なぜ土手にあるのか? 今、考えると驚く。 オランダの田んぼの あぜ道にあった、 揚げたてのエビコロッケの 自販機ぐらい、驚く。 でも風が吹く場所>寒い>暖かい食べ物 そう思いつく賢い人が 世界中どこにでも いるのでしょう。 そして、友達のKちゃんの ジャージのポケットの百円と 私のジャージのポケットの五十円で、 一杯のカップヌードルを買うことができた。 (貧しい) もちろん一膳しか付いて来ない、 湿気った割り箸をパキと割って、 二人で半分こした そのカップヌードルの味を、 三十五年たって まだ思い出すとは。 半分のカップヌードルは 本当に少ないのに、 それなら食べなくても いいんじゃないかというぐらい お腹の足しに ならなそうなのに。 手で持つのが熱すぎるくらいの その発泡スチロールのカップの熱さと、 まっすぐ立っていられないぐらいの あの土手の寒風の強さが、 ブリュッセルで 木枯らしに吹かれたとき、 今なお、蘇って来る。 あったかくて嬉しかった、 半分こし

お店

もし自分が自分というお店だったら 自分はそこに買いに来るだろうか? そう思ったことがきっかけで、 とりあえず来年の企画を 予算の面から 見積もってみた。 勉強になることや、 自分を育てることばかり して来たけれど、 伝えたいことを ぎっしり詰めた何かを 贈り物の小箱のように、 美味しい食べ物のように、 ひとに買いに来てもらいたい。 できれば、そうやって 愛情を表現したい。 でも演奏をCD化するほかに、 何ができるだろう。 もしも あと十五年だけ 音楽家をやっていくのだとしたら、 どんなふうにお店を広げていけるだろう? もしもあと三十年も 音楽家をやっていくのだとしたら、 どんなふうにお店を畳んでいくのだろう? そんなふうに考えてみたことが なかったので、 もし健康で そんなふうに音楽を 続けていけるのなら、 その何十年という時間 そのものが資本なんじゃないか という気持ちになった。 時間がかかって、 とても深くて 充実していて 心においしいもの。 それは一体どんなものだろう?

愛されていない季節

愛されていない気がする 季節と、 愛されている気がする 季節がある。 今は愛されていない気がする 季節である。 (勝手な自分の感じ方なので 何かあったという事件性は ありません) 自分は十月が深まるとそうなる。 双子座なので ほぼその四ヶ月後の 天秤座に そうなると言っても良い。 日記を過去十年 読み返すと、 そうなっているようだ。 考えてみると 数ヶ月で人からの愛され方が 変わるのはおかしい。 周囲が変化しているわけではない。 愛されていない気がすると どうなるかというと 寂しい。 食欲がでない。 嫌われている気がする。 でも 「激しく」 文を書いたり 日記を書いたり 練習したり 絵を描いたり したくなる。 枯渇するのでしょうか。 これって必要なのでしょうか、 もしかすると、 自分にとって、 大事な季節なのでしょうか。

最近の、満月の夜に、見た夢。 見ようと思ったって見られないような、 とんでもなく現実的な夢で、 目が覚めた時 細部を手に取るように思い出せた。 私が広いどこかの店内で、 自分には運べないような 大きな袋に買い物をたくさん 入れているという状況。 「不安な夢」の雰囲気が 充満していて、 ・だだっ広い場所 ・店の中だが、外は曇っている ・知っている人がいない この三点がいかにも 私の夢です。 月に一度ほど「見たなあ」と思い出せる夢は、 いつもその条件を満たしている。 (ちなみに私は空を飛ぶ夢は 一切見ない) 誰か知らない人が、 手伝ってくれると言って 執拗にこちらを見る。 お買い物をしたいんだけど 袋を持つことができないので (2メートル四方ぐらいある) そこから動けないから その人から逃げたくても 逃げられない、と (お買い物を諦めれば良いのだけれど そういう考えは浮かばない) 焦っている。 次の場面では すでにレジを通り過ぎていて お買い物の袋を車に 積んでくれた人が、 「来られないはずだったのに、 急に渋滞で仕事に行けなくて 迎えに来られたから」 と、運転席から私に言う、 という状況に飛ぶ。 私は車の中にいるらしいのに、 手伝いたいと言っていた人が すぐそこにいて じーっと、とっても 怖い目で見ているので、 怖い。 と思って目が覚めた。 と、いう夢だった。 その車を運転している人が、 まあ驚くような なぜあなたが? というような人だったのだ。 (夫じゃなかった) 私は自分の深層心理が、 わかったと言いたいけれど はっきり言って 全然わからないです。 というか私、人に頼りすぎ?

Fall

The garden is small. It has two apple trees. They give fruits every fall. Lovely Flemish green apples. The trees grew so tall. We shall wait apples to fall. One by one they fall on the wet autumn leaves. Fallen apples are always ripe, ready, sweet and crisp. They fall when no one is watching. I dream to hear, the sound of an apple coming off a brunch, hitting the soil, bouncing and rolling, till rain comes to wash it clean.

Bookish

I like the word : bookish. I don't know if it is a proper English word. I like the way it sounds rather not proper. I did not do an encyclopedic reserach about the word though. I know it does not mean I look like a book. But I like the way it sounds as if I do. Don't they say "She is foolish" meaning she looks like a fool? Instead of meaning: -intelligent -scholarly -knowledgeable -intellectual -clever, the word bookish gives the impression of "sticking to the books for no visible reason". True, I read books for no reason. I am writing these lines for no apparent reason, and that motivates me. I imagine you read this with no reason. Then you might like the word bookish too.

A candy

Sitting in a classic concert is a strange experience. Normally, once a work starts playing, you can't speak. You can't make a sound - which is not written in that work. You can, however, breathe. I mean I had some experience of myself almost choking. You can, by all means, smile. But it's rare to see people smile during a concert, even if the performer smiles to his piano: there is nothing to do with you... or not? I realise people speak in a whisper, make some sound, breathe, smile and laugh, in Belgium, during a performance. I had adopted much of life habits à la Wallon over twenty five years. But not this, till this year. I even have an experience of a Japanese stage manager in a concert

Sunday organ recital

I am one of the organists of the church of Finisterrae in Brussels. There is an organ built in 1856 in the church by Hyppolyte Loret, a Belgian builder from Brussels. The organ was silenced when it was damaged by water beacause of the fire, in 1970. The restauration came finally in 2000, thirty years later, partly because the church had its entire restauration. I came to Brussels when there was no church, no organ: it was in a room where we had masses in French, with its small positif organ with one manual and a pedal board, and Flemish masses were sang in St Nicolas church. The organ manufacture Thomas of Ster-Stavelot in Belgium restaured the organ with new langs (bellows), new bo

Being on her/his own

We know that musicians need to spend many hours physically alone. (Technically they are not. If there were no music it will be hard to stay alone) If musicians spend hours alone it's just because they need to be with the music. When learning it is impossible to be with somebody else, in fact even with their music teachers. It is very important to face what is on the music stand, alone. The day to convince listeners will come sooner or later. The day when musicians are no more alone. Why not celebrate, then, the loneliness with this terrible deadline? Does she/he prefer the day when everything evaporates? On the day of the concert? Or does she/he prefer the sweet seclusion all on her/his own?

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