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間(ま)のことは、 音楽の人も 文学の人も ダンスの人も、 いつも考えている。 美術の人も 考えているらしい。 武術の人も スポーツの人も 考えていると聞いた。 間とは何か? 音楽では 音がない時間 と定義できる。 自然に存在する沈黙と違い、 音楽の間は、 音と音で区切られた沈黙になる。 オルガンはリリースを 指をあげるだけでできるので、 間の前の音の長さを 精密にコントロールできる。 すると 次の沈黙の体積のようなものを 実感できる。 パイカッターで綺麗に切った バターのような密度の高い間。

紙一重

ペンキの色見本があった。 メーカーにより、それぞれが提案する ごく灰色味の少ない白。 色見本を、 めくっては、違う、 めくっては違う。 そう思いながら ようやく、 「その白」に 出会う。 人の写真を見ていた。 景色により、 季節により、 どの写真も違う。 その中から 奇跡的に 好ましい一枚を 見つける。 どうして、そのひとつだけ、 他とは違うのか? どうして、それ以外にない、と 思うのだろう? 欲しいだけの光と 欲しいだけの影が ちょうど備わっている。 しっくり来る場所と しっくりこない場所の 違いは本当に小さい。 紙一重で、 目の前に現れる 奇跡の一瞬。

ほころぶ

笑顔が、ほころんだ。 という表現が、あります。 でも、ほころび、とは、 縫い目が切れたり、布が破れる、 という意味ですよね? 弾いている時に、 Stylus Phantasticus奏法的に、 「笑顔がほころんだ」ような フレーズの作り方をして、 十六分音符の連鎖を表現することがあります。 笑顔のような。 ぱっ、と表情が輝いたような。 そんなとき、 柔らかく手首を使うので、 細心の注意を払わないと 音がひとつあるいは半分、 抜けてしまいます。 半分抜けるというのは、 その音の入りが遅いか 出が早いかの微調整の狂いによって、 全体の中で、その音の音価が 微妙に足りない感じになること。 32個の音があるとして、 その中の1音の半分だけ欠けても、 完璧に「笑顔がほころんだ感じ」 が出せない。 のですけれども、 縫い目が不揃い、という意味では 「ほころびだなあ」 と、練習しながら 笑った。

塩かげん

目分量で、ご飯を作る。 ごく普通に、お味噌汁でもいいし、 パスタを作るのでもいい。 出来上がった時に、 「うん、こういう味!」 と、思いながら 美味しく食べるには、 お湯を沸かすとき、 塩や、カツオぶしや昆布を入れるとき、 野菜を切るとき などなど、 それぞれの段階で、 ちょうどいい 「手加減」をする。 演奏も、似ています。 こういう音を出そう。 と思って、鍵盤に実際に 触れる時、思ったのと違う音が 出てしまってびっくり! と、ならないように、 日々練習しているんだな。 と、気づきました。 子供でもすごいなと 思う子は、最初から そうやって出す音を 思い描きながら 練習してきている。 逆に「家ではちゃんと弾けるのに、 レッスンでは弾けない」 と言い訳をする生徒さんは、 音楽の「外に響く音」だけを 聴く練習をしてきたのだと思う。 「どんな味にしたいのか」を イメージできると、 状況や材料が少し違っても 美味しく作れる。 楽器が鳴る音を聞いて、 それを使って練習すると同時に、 どんな音が聴きたいのか、 楽器が鳴る一瞬前、一瞬前に、 いちいち、いちいち、 全部の音で、全部の段階で、 イメージしながら 日々練習する。 音が楽器から生まれる前に、 音を体感する練習を してみると、 丸一日、スマホなしに 音楽を再生する力も だんだんつけられます。 (いらないか)

音はどこから来るのか? 自分の体から音が出ていると 感じる時がある。 心臓が音を出している? 血流が血管の壁に当たる音がする? デシベルでいうと多分 示すことのできないほどの 微音 に違いないけれども。 あるときは骨が音を出している、 と強く感じる日がある。 頭蓋骨に記憶が刻み付けられていると 信じているわけではないけれど、 先週、骨に響いた音が、 今週、内側から聴こえる、 と感じる時がある。 基音が聞こえなくて 倍音が聴こえる、 どこで鳴っているんだと 不思議になる。 耳を澄ます。

フランクのソナタ

セザール・フランクのバイオリン・ソナタを、 オルガン伴奏で録音したことがあります。 もう15年経つので、すでに廃盤になってしまいました。 音源はまだあるので、また分けて欲しいと 言われることもあります。 入院中、そのCDばかり聴いていました、 と言ってくださる方もいました。 また、オルガン伴奏版を聴くと、 ピアノ伴奏版を違った捉え方で 考えることができます、 と言うピアニストの方もいます。 私が特許をとっているわけでもなく、 オルガンで伴奏している方は 他にもいます。 私も、色々なオルガンで、 色々なバイオリニストと 演奏しましたが、 譜面は自分の手書きのオルガン 編曲版を見慣れてしまって、 なかなかきちんとした印刷の 編曲版を作らずにいました。 あるオルガンの先生が オルガン簡易編曲伴奏版と 言えるようなものを作り、 共同で私の編曲版との中間の版も 作ることも考えました。 けれども納得して「印刷」する版を 作るには、自分がピアノ版を弾いて みないことには、決定的なことが 言えないと思いました。 それは、ピアノでは重複されている、 ハーモニーごとのオクターヴ音を、 どこまで省略していいのか、 という問題だからです。 それで、#100DaysMusic チャレンジ の内容の一つとして、「ピアノ曲をさらう」 を挙げて、こつこつと練習しました。 練習の日々は去り、 第一楽章を今日はピアノ版で、 ピアノで、ピアノ用に解釈してみたくなって、 本当に本気で弾いてみました。 すると不思議なことなのですが、 私の指の下で、一楽章の最初のページに於いて、 教会の鐘の音が鳴り出したのです。 本当に

ミラクル

「ミラクルが起これば良いのに」 他人の人生を外から眺めていて そう思うことがある その人の人生を なんとかしたい、なんて ダメじゃないか それでも奇跡が 起これば良いのにと思う時、 私は祈っている気がする 自分の人生で ミラクルが起こってほしい とは意外に思わない 「なんだか奇跡みたいだね」 と人に言われると、 そうか奇跡に見えるんだな としょげてしまうことすらあれ そして実力に見合わない 何かが起こった時には 奇跡の代償をいつか 支払うのかなと怖く思う 奇跡は無料なのだろうか それとも他人のために 祈る時はその祈りで 支払えるのだろうか 一人のために 百人が祈るなら 奇跡は起こるだろうし 代償もきっと必要ない なぜかそんな風に 奇跡やミラクルは 本人に向かっては本人の力で 引き寄せられない気がする。

夢・Dream・Rêve

私は夢を描きました。 私はその夢を自分に課した。 I have dreamt. The dream gave me a task. J’ai rêvé. Ce rêve m’est devenu une tâche. 夢を描いたのは私なのに その夢に雇われたのも私。 Although it was myself who dreamt it, it was my dream who had employed me. C’était moi qui l’a rêvé, mais c’est mon rêve m’a employé. そのぐらいのことを、 ノルウェー語と韓国語でも 書けたらいいのに。 という夢を描く私。 If I could write as much - or as little - in Norwegian and in Korean! So I dream. Si je pourrais écrire juste autant, en Norvégien et en Coréen? Que je rêve.

まぼろし

できれば会わずにいたい なんども夢に見たけれども できれば声を聞かずにいたい なんども幻聴を聞いたけれども ある場所に置き去りにして あるときひとり飛び立った 知らない土地の街角で 同じ目をした人に出会う 知らない海の砂浜で 同じ香りをまとった人に出会う 幻影が心に焼き付いている 幻想が心を焼き尽くそうとする まぼろしにされた人 まぼろしのままで生きて まぼろしが生き続ける限り まぼろしによって生かされる なによりも手応えがあるのは 二度と会えないから

1年の「変」

今年の1月に「手帳みくじ」を 引いた時、漢字一文字なら 「変」 に代表される1年になる、と 出ていた。 変化のあった年だったか? それはそれは! 変化は、ありました。 環境が変化したあと 行動様式が少しずつ順応して、 多分来年あたり、自分も 変化するのかな… という気はしている。 「変」と言う文字を見て 最初にイメージしたのは、 なぜか「変化」ではなく 「変身」だった私。 12ヶ月後の今、 ポケモンみたいには 変身していない。 (ポケモン、 変身じゃないね…) 変身なんてそう簡単には できない。 肉体のことですよね!? 時間のことなら、 「xxの変」や「事変」のように、 クーデター的に使うとき、 カタストロフなのに 「以前とは違うことになりました」 とすんなり名付けて、歴史が普通に 続いていく。 その感じは怖い。 「中の人たち」はどうなったのか? みんなはどこに行ったんだ? 歴史の授業中に疑問で 頭がいっぱいになったことは ないでしょうか。 「桃代の変」は 一体どうなるのか? 「何も変わらないと思います。」 と、お正月に普通に書いていた自分。 実際は、何もわかっていなかったと思う。

異質

私はヨーロッパでは ガイジンだし、 演奏家の仲間の間では オルガニストだしで、 常に、異質な空気を 作り出すことができる、 というか、 作り出すことが うまいと言っても 過言ではない。 どう思いますか? 異質な感じ をもっと説明すると、 自分では 普通に喋っているのに、 「えっ…?」 という空気が流れ、 沈黙が少しの間生まれる、 ということです。 異質な感じとか違和感、 という時、 大抵は良くないこと を思い浮かべる。 けれども 30年ガイジンをやり、 オルガニストをして、 そんな瞬間が何となく 好きになって来たのです。 つるむとか、 ダレるとか、 読めてしまう、 ことの方が、 最終的には、 健康を蝕む。

ゲーム

ベルギーの子供達には12月6日前夜に 聖ニコラ(サンタクロース)が来る。 来る。 ということで、 来る、その前の街は、大騒ぎ。 大きなおもちゃや ボードゲームのお店が 繁盛している。 子供が成人してしまったので、 そこに参加するでもなく、 私なら何が欲しいかなと、 もらえるわけではないが いろいろ想像しながら 私は道で人を待っていた。 すると二人連れの女性が 英語を話しますかと訊いてきたので、 道を訊かれるかと思ったら、 xxxの証人の人たちだった。 「このような全てへの希望が 消滅したような時代をどう思いますか」 と訊かれたので、 「あなたたちが心配するよりも 多くの人たちが信じる心をしっかり 持っていますよ!だから希望を持ってくださいね!」 と言ったら、そっち方面はダメだと思ったのか、 角度を変えて、 「聖書とは何だと考えますか」 といきなり禅問答になったので、 「エターナルです」 と言ったところ、待ち人が来て、 彼女たちは少し残念そうに 口をつぐみ、 会話は収束したのですが、 「知らない人と道で 『一口芸ミッション』 というゲームをしよう」 というプレゼントをもらった 気がした。 あの人たちは、 遊びなのか? 本気なのか? それとも おしごと?

手首

#100daysMusic チャレンジを11月1日に始めて、 早ひと月が経ちました。 11月が飛ぶように過ぎ去るのは、 毎年のことのようにも思いますが、 飛ぶように過ぎ去ったなりに、 少なくとも 毎日技術練習を したのだから、 寒く冷たく寂しい 月だったけれど 有意義なこともできた、 という気分です。 夏にも37日間続けましたが、 そのあとすぐに演奏会があったので、 ある意味その効果が何だったのか 考える機会がありませんでした。 演奏会があると、 自分の状態は関係なく、 どっちにしても ゴリ押しというか、 楽器も知らないオルガンなので 自分の調子が良いのか悪いのか はっきり言って 見当がつきません。 と、いうわけで、 再チャレンジ中の今回は、 よく考えてみましたが、 「今の所、特に効果はない!」 と一言書いておきます。 技術は30日では上がらない気がします。 毎日やっていない時より短時間の ウォーム・アップで、音楽を奏でる時の、 「指がついてきてくれる感」は、 得られるのは確かですが、 せっかくなら技術を上げたい。 展望として、 技術練習の内容を見直し、 次の30日間に 臨んでみようと思います。 私は、対位法的に逆方向に 動く音形や、あちこちに散る音形や、 不協和音のさまざまを、 (特に手の左右で、微妙に音が違うものなど) 俊敏に鍵盤上で手中に収めたい。 何故ならば そういうのは 本当に 面白いから。 手首ですね。

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